8月24日は外交官、陸奥宗光の命日 和歌山市岡公園に像
8月24日は、明治の外交官、陸奥宗光の命日。和歌山市に紀州藩氏の六男として生まれ、武士として江戸末期を生き、明治期以降は外交官、外務大臣となる。東京北区で、53歳で亡くなり、お墓は神奈川県鎌倉市の寿福寺にある。
銅像が外務省と和歌山市若山城址公園に隣接する岡公園にある。
外務省の外交資料Q&Aには、陸奥宗光像の建立の由来について、「日清戦争や条約改正といった難局に、外相として立ち向かった陸奥宗光の業績を讃え、各界の基金により1907年(明治40年)、外務省内に銅像が建立されました。しかし1943年(昭和18年)、戦時金属回収により供出されました。その後、同外相の没後70周年に当たる1966年(昭和41年)に再建されました」と書かれている。
江戸幕府が、安政5年(1858年)にアメリカ合衆国、ロシア、オランダ、イギリス、フランスと結んだ通商条約(安政五カ国条約)は、相手国にとって治外法権であったことや、日本に関税自主権がなかったことなど、日本が一方的に不利な不平等条約だった。
陸奥は外務大臣として不平等条約の改正を実現した。
陸奥宗光については、学校で習った覚えがなく、遠い昔に読んだ、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で、海援隊の仲間として、やがて優秀な外交官となる若者として名前を知った。
外務省に銅像の写真を撮りに行きたいと問い合わせると、交換は電話を会計課管理室に回してくれた。像は外務省の財産として管理されているのだろうか。
命日の記事に写真を載せたいからと、こちらのお願いに電話の相手は、申請してもらって、許可できるかどうかの回答にどのくらいかかるか分からず、まあ1週間とかはかかるという説明で、それでは命日の記事には間に合わないので諦めると伝える。間際にお願いしたのは、こちらの勝手な都合だから。
質問だけさせてもらい、入省のときに陸奥宗光について訓示を聞いたことはなく、命日に献花の予定はなく、この数年献花などはなく、陸奥宗光についての感想もないとのこと。
銅像まであるからと、独りよがりに想像していた、「ミスター外務省」なんて話しはなかった。
電話の人に、国内広報室があると教えてもらい、改めて電話をかけなおすと、感じのいい女性が出て、銅像の写真を撮りたいとのお願いに、「少しお待ちください」。しばらく待って、「もう少しお待ちください」とわざわざ中間報告もくれて、それでも待っていたのは1-2分程度だけど、突然、男性が出て、「はい。さっきの問い合わせの人ですか」と会計課管理室に電話は回されていて、「国内広報室では対応しないそうです」。
生誕地、和歌山市に画像を依頼
和歌山市にある岡公園の陸奥宗光像の写真をもらおうと、和歌山市役所観光国際部和歌山城整備企画課に問い合わせると、「明日の掲載じゃ時間がないですね」と、指示された申請書を送ると1時間ほどで画像のメールと、メールを送ったと伝える電話をもらった。
生誕地は温かい。
陸奥宗光像は、幕末から明治にかけての中心地の1つ、長州、山口県下関市の日清講和記念館にもある。
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