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「走るレストラン~食堂車の物語~」 鉄道博物館、19年秋の企画展を開催

19/08/29

鉄道博物館は9月14日、2019年秋の企画展「走るレストラン~食堂車の物語~」を開催する。食堂車のはじまり、鉄道国有化後の食堂車、食堂車の廃止と復活、食と鉄道の新しいカタチなど、食堂車の歴史と食との関係を紹介する。来年1月19日まで。

走るレストランポスター

 

特別なひとときを作る「食堂車」がテーマ

列車に乗って、移り行く車窓風景を眺めながら美味しい料理に舌鼓を打つという特別なひとときを演出してきた食堂車。その原点をたどると、日本では今から約120年前に山陽鉄道が食堂車を連結したことから始まる。以来、社会情勢や生活スタイルの移り変わり等の影響を受けながら、食堂車もまた内装や調理設備、メニューなど、あらゆる面で変化を遂げ現在に至る。「走るレストラン~食堂車の物語~」では、食堂車にまつわる歴史を紐解き鉄道と食の関係をご紹介します。

「走るレストラン~食堂車の物語~」概要

会期:2019年9月14日(土)~2020年1月19日(日)

会場:本館2F スペシャルギャラリー1

入場料:無料 ※鉄道博物館の入館料のみ。

入館料(税込み)

「企画展ではトークショー、昔の食堂車の洋食提供(3,000円是別)、駅弁販売、ガイドツアーなどもじ実施する。昔を思い馳せながら、また新しくも見える昔の様式に触れてほしい」と関係者。

「走るレストラン~食堂車の物語~」展示内容

食堂車のはじまり【1860 年代から 1900 年代初めまで】

1860 年代にアメリカで誕生した食堂車は、長距離列車の乗客に対するサービスとして生まれた。同様に日本でも、1872(明治5)年に新橋~横浜間の鉄道が開業して徐々に鉄道網が全国に広がりを見せ、乗車時間が長くなる中で、乗客への食事の提供が必要となった。1899(同 32)年5月に山陽鉄道(現・JR 山陽本線など)が京都~三田尻(現・防府)間に最初の食堂車を連結した。当時食堂車を利用するのは主に富裕層や上流階級で、洋食が提供された。その後、官設鉄道や他の私設鉄道にも食堂車が普及していった。

日本で最初の食堂車の車内(山陽鉄道)1899年頃

成田鉄道の喫茶室の様子を描いたイラスト1903年

鉄道国有化後の食堂車【1900 年代初めから 1940 年代半ばまで】

鉄道が国有化され、全国の主な私設鉄道はすべて国有鉄道となった。食堂車はそれまで洋食一辺倒だったが、三等急行列車に和食堂車が連結されると、一般庶民の利用も徐々に増えていった。食堂車を運営する複数の事業者はお互いしのぎを削り、味やサービス、メニューなどを競った。戦前は食堂車の最も華やかな時代だった。ところが戦争の波がしだいに押し寄せてくると、食堂車の営業も運営の合理化を図る必要性が出てきた。列車食堂を運営していた複数の事業者を統合し、日本食堂株式会社が設立された。こうして鉄道省の監督のもと、1社による独占的な運営がスタートした。

特急「富士」や「燕」に使用された戦前の食堂車スシ 37800_1933年頃

みかどが経営していた特急「燕」の食堂車案内(メニュー)1935年頃

食堂車の廃止と復活【1940 年代半ばから 1950 年代半ばまで】

戦争が激化してくると、鉄道は旅客輸送から軍事輸送中心へシフトしていった。そしてついに1944(昭和 19)年3月末をもって食堂車、寝台車、一等車はすべて廃止された。翌年、戦争に敗れた日本は、連合国軍の占領下で統治されることになる。連合国軍は、大きな被害を被った日本に対し車両などを接収し、食堂車の利用を連合国軍の軍人およびその家族らに限定した。このような状況下で日本の鉄道は必死に復興を目指し、1949(同 24)年6月には公共企業体日本国有鉄道が発足した。同年9月には特急列車も復活、食堂車も5年ぶりに営業を再開した。

進駐軍専用列車の食堂車内1950 年代前半 提供沼本忠次

戦後、特急「へいわ」が復活し、食堂車も約5年ぶりに営業を開始した1949年

食堂車の時代【1950 年代半ばから 2000 年代まで】

高度経済成長により日本経済が発展する中、鉄道技術の発達もめざましいものがあった。蒸気機関車から電車主体の時代へ変わり、東海道新幹線に象徴されるように列車の高速化が図られた。所要時間は短縮され、気軽に軽食を楽しめるビュフェが新しいかたちとして誕生した。一方、食堂車も大衆化の時代を迎え、1968(昭和 43)年 10 月の「ヨン・サン・トウ」ダイヤ改正で特急が大増発されたのを経て 1970 年代前半には食堂車のピークを迎える。しかしその後はさらなる列車の高速化、従業員の確保の問題等から次第に食堂車は数を減らしていき、廃止へと向かう。その一方で 1987(同 62)年に国鉄が分割民営化され JR グループが発足すると、各社で工夫を凝らした運営を行うように。「北斗星」を皮切りに豪華寝台特急がデビューし、当時の食堂車ではフランス料理のフルコースなどを楽しむことができた。それまでの食堂車のように、誰でも気軽に利用できるものではなくなったが、こうした「特別感」のある列車の登場は、現在のクルーズトレインへ続く道筋となった。

特急「こだま」ビュフェの様子1960年

混雑する 20 系「あさかぜ」の食堂車1958年頃

食と鉄道の新しいカタチ

列車の高速化と引き換えに姿を消すと思われた食堂車だが、列車が単なる移動手段ではなく乗ること自体を「目的」とした列車の登場により、新たな列車と食事の関係が生まれた。JR東日本が誇るクルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」は、JR 東日本が 2017(平成 29)年5月1日から運行を開始した周遊型の列車。「TRAIN SUITE 四季島」のダイニングでは、旬の食材を使った料理が堪能できるほか、厨房の調理スペースを一部外から見られるようにし、料理人の調理風景を生で見られるようにした「オープンキッチン」など、数々の工夫の中にその新しいかたちを見ることができる。

クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」

旬の食材を使った料理が堪能できる「DINING しきしま」

 

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