人のために自信を持って作る−キムチが紡ぐ健康と縁 岡村貞恵さん
大阪環状線と近鉄が交差する鶴橋。駅前の狭い路地には焼肉屋やキムチを売る商店などがひしめく。肉を焼く香ばしさ、鼻奥にツンとくる唐辛子の匂い。このまちはいつ来ても嗅覚を刺激する。その一角、ガラスケース内に多種多様なキムチがずらりと並ぶ清潔感のある店構えで、看板に描かれたキャラクターそのままの女性が店頭に立つ。岡村商店の社長、岡村貞恵さんだ。
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結婚を機に来日した岡村さんは若いころ、姑との関係や経済面でずいぶん苦労したらしい。50歳になるのを目前に「自立しよう」と始めたのがキムチづくりだった。
「家の前や道端で売り始めたんだけど、最初は全然売れなくてねぇ」。それでも「清潔に心を込めて作れば、いずれお客さんはわかってくれる。それまでの苦労を思えば辛抱できた」と、黙々と毎日白菜を漬け、無添加・無着色の手づくりの味にこだわった。
転機は2001年。キムチづくりで教えを乞うていた祖国・韓国の「師匠」から光州キムチコンテストへの応募を勧められた。結果は望外の「金賞」。それからは「金賞キムチ」として売り出し、百貨店などの催事に声を掛けられるようになり、製造卸売りとしての活動を本格化させた。
「でも、卸売りは『もっと安く』とか言われて儲けがほとんどなくて面白くない。やっぱり自分で看板を掲げて小売りしないと。大阪・鶴橋というのも大事だと思ったの」。一念発起し、地元信用金庫に乗り込んだ。「副支店長が熱心に話を聞いてくれてね」と、念願の一号店をオープン。
金賞キムチの名は徐々に広まり、11年には関西のグルメテレビ番組から「トビコでキムチを作って」とオファーがきた。トビコとウニを混ぜたキムチを提供すると、番組をきっかけに人気を呼んだ。以降、様々な創作キムチに挑戦。健康食、発酵食ブームも追い風に店舗も増やしていった。
今のコロナ禍は岡村さんにとっても逆風だ。店も縮小した。「でもね、若いころ苦労したから、年とってから運がつく。そう言われたことがあって、それを信じているの」「自分が食べていくために作り始めたキムチが、お客さんの健康のために欠かせない食品になったんだもの」と笑う。
「私は人に救われた。だから、これからも人のために、自信を持ってキムチを作っていく」。そう言って、岡村さんは冷蔵ショーケースからキムチをわさわさと取り出し「食べてね」とお土産にくれたのだった。
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