劇場街「道頓堀」の復興 並木座仕掛人・山根秀宣さんの挑戦(1)
今を遡ること400年、大阪ミナミの道頓堀には芝居小屋が建ち並び、歌舞伎、文楽、浄瑠璃などが連日上演されていた。まちは芝居好きで粋な旦那衆らで賑わい、世界最古で屈指の「劇場街」だった。その歴史はニューヨークのブロードウェイが誕生する200年以上も前のこと。今はその面影を探すのも一苦労するほどだが、劇場街・道頓堀の復興を期して一人の男が立ち上がった。
往時の賑わいを17・5坪から
インバウンドが隆盛し外国人がかっ歩していた道頓堀に2018年秋、まちの一角に往時の芝居小屋を模した建物が竣工した。その1年後に本格オープンする道頓堀ミュージアム「並木座」仕掛人の山根秀宣さんが私財を投じて建てたものだ。
空堀商店街、北浜と大阪市内のまちづくりに携わってきた山根さんが「自分のやってきた大阪を元気にするまちづくりの集大成」だった。知人の勧めもあり、まちづくりの核をかつて粋な大人のまちだった劇場街・道頓堀の再興と定めた。
香川県琴平町にある現存する最古の芝居小屋「金丸座」に建築家を伴って足繁く通った。実際に「こんぴら歌舞伎」も見学した。道頓堀のわずか17・5坪の小さな敷地に、芝居小屋を再現することに思い至った。
もともと道頓堀に劇場街が形成されたのは1626年(寛永3年)のこと。南船場から芝居小屋三座が道頓堀南岸に移設されたことを起源とする。その後、浄瑠璃座(竹本座のちに浪花座)、中座、豊竹座、角座、武田芝居(のちに朝日座)、竹本座など6座が軒を連ね、最盛期には日本、いや世界屈指の劇場都市だったという。
江戸末期に日本を訪れたオランダの医学者シーボルトが当時の日本を克明に記録した日記に、1826年6月12日に道頓堀を訪れた記録が残っている。山根さんによると、シーボルトは角座を訪れ歌舞伎を見学したらしい。その時、場面展開で「回り舞台」を目撃。ヨーロッパにもない舞台装置に関心したとの記述がある。「今や世界で当たり前の回り舞台は道頓堀が発祥だったのです」と山根さん。
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