震災から3年-「感謝と備え」を(3) 耐震化は旅館の覚悟
―震災のときのことを少し振り返りたいのですが、全国の旅館ホテルで震災後に多くの被災者を受け入れました。
二次避難所として活用を
会長 中越地震のときに新潟県の旅館組合が被災者を受け入れたのが参考になりました。震災直後、30万人の避難民がいるのを目の当たりにして、被災者の受け入れを旅館組合が中心になり全国規模でできないかを考えました。震災翌日の3月12日に地元選出の鹿野道彦・農水相(当時)に電話をしたところ、3時間後に大畠章宏・国交相(当時)から直接電話があって、この電話で旅館での被災者受け入れの方向性が決まりました。その後は、各県の旅館組合にたいへんな協力をいただき、延べで525万人を受け入れることにつながりました。
理事長 震災からすぐ、佐藤会長から県単位の被災者受け入れ可能人数を照会されたのですが、宮城県は直接の被災県だったこともあってすぐには対応できませんでした。やがて仙台市からも電気、ガス、水道、道路などの復旧作業員の宿泊場所を提供してほしいという要請がきまして、沿岸部や都市部に近い宿泊施設はそうした作業員に、被災者は県内では鳴子温泉で多くを受け入れる形で対応しました。
―緊急時に多くの被災者を受け入れた旅館の取り組みは政治にも行政にも大きなインパクトを与え社会にも認知されたのではないでしょうか。
会長 仮設住宅の話をすれば岩手、宮城、福島で5万4千戸が建設されましたが、時間がかかりました。4月末の時点では完成していたのは1割程度です。それが旅館であれば、生活に必要なものの多くがすでにそろっています。すぐに受け入れられます。全旅連には1万6千軒の旅館が加盟していて、1日当たりの収容人員は150万人です。南海トラフ巨大地震が起きた場合、予想されている避難者の数は900万人です。そのとき、被災者の受け入れはどうあるべきなのか。全旅連では国民の命をつなぐためにも被災者を受け入れる覚悟を持っていきたいと思っています。
理事長 残念だったのは、昨年の伊豆大島の土石流被害のとき、被災した人たちは旅館に一時避難しているに違いないと思っていたら、やはりいつもの光景、公民館でした。「住む」と「暮らす」は違います。人が人として暮らすために、旅館をもっと活用してほしいと思います。そうした部分も含めて災害への対応をマニュアル化することが必要だと思います。
会長 一時避難所として公民館や体育館などを使うのはやむを得ないかもしれませんが、その時間をできるだけ短くすることが大事です。ぜひ、旅館を二次避難所として活用してもらいたいと強く思います。仮説住宅1棟に約600万円かかります。費用のことを考えても既存の旅館を使ってもらいたい。そうした意味でも建物の耐震化の問題も考える必要があります。
経営者も大変でしょうけど、耐震が必要な施設は国民の命をつなぐために、耐震化を図ることを考えていただきたい。もちろん国や自治体の資金的な支援があれば、耐震化はより加速できると思いますので、全旅連でも自治体による補助金制度の創設を強く働きかけています。