講釈師が語る一休さんの二十一 華叟和尚、宗純に「一休」授ける
すぐさま琵琶湖の湖畔にあった小舟に乗ると、一人で静かに葦の間を漕いだ、己がこの世にあることも忘れ過去も未来も無く天地と同化した、琵琶湖の真中でゴロンと仰向けになる自分がこの世にあることも忘れた。宗純は今まで入りたくても入れない、世界に入った。
そこで宗純は華叟和尚の前で出て、「和尚様『洞山三頓』の意味が漸く分かった様な気がします」「答えてみよ」「あの盲目の琵琶法師でさえ平家物語を語って、路行く人々を感動させているのに、この私は洞山同じ様に、今まで人の為に何一つせず、堅田や京都をうろついておりました。洞山と同じく三頓の棒をかまされて致し方がない所、師のお情けで免れていたのです、和尚様これをご覧下さい」と差し出したのが―
有漏路より 無漏路へかえる 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け(我々が生きている現世は、前世〈有漏路〉から来世〈無漏路〉へ向かう、言わば茶店で一服している様な僅かの間でありますから、何があってもありのままに受け入れましょう)
この歌を見せられて、華叟和尚は
「お前はこれより、一休と名乗りなさい」「はい」
華叟和尚は一休が本当に悟った者の証明として左券(禅宗における免状)を拵え是を授けようとしたら、一休は「これは馬を繋ぐ、棒杭と同じ様な物、邪魔でしかありません」と言って華叟和尚の前で投げ捨て部屋から出て行った、禅僧にとって最も大切な左券を受け取らなかった。一休はどうして受け取らなかったのか、それは「悟りは紙ではない」ともはや一休は自己の確信で生きていくつもりであった…
(旭堂南龍=講談師)
(トラベルニュースat 2022年2月10日号)
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