旅館とともに50年コラム
国際観光施設協会
持つべきは友。芝商から伊藤忠自動車に同期入社した友人が行政書士として独立していたので、リーコ設立登記業務を一切お願いしました。またメインバンクは近所の大手都市銀行の本部に勤務していた芝商同級生に支店長を紹介してもらい、そこに決めました。 ...
株式会社リーコ設立
新会社の体制をどうするか、2年くらい前から考えていました。 後継者を育成する、という選択肢は持たず、旅館業のコンサルタント市場は狭いので売上が不安定であり、常勤者は自分と事務員の2名とし、小さな仕事は自分1人で、その他は基本的に請負、...
なぜ変わらない旅館料理
直営営業所のセールスマンが「こわい」と言うほど宿泊料が上がり続けている1980年代の終わり。「TMC-MEMO」に「賃金を3割上げよ」のタイトルで、旅館従業員の賃金を上げる一方、1人3役の働き方を考えるべきと提案しました。賃金を上げないと人...
TMC最後の欧州調査団
TMCが解散するならぜひうちに来てほしい、と「月刊レジャー産業」等を刊行しコンサルタント業も営んでいる綜合ユニコムから嬉しいお誘いがありました。しかし「自分の思い通りにやってみたい」という気持ちが勝ってお断りしました。そして、自分で会社を設...
TMCの解散決定
1989年、某県で3年連続法人所得ランキング入りを目標としている旅館経営者の話を聞く機会がありました。「水は低きに流れ、金は高きに流れる」と言います。つまり「利益を上げる体質になると資金に余裕ができ、例えば固定資産税を前納すると、還付金は固...
村上ムッシュウ
86年春、札幌市の北海道自治会館(北海道市町村職員共済組合)を経営診断の結果、全面改築することが決定しました。ホテルポールスター札幌としてオープンする直後までのコンサルで2年半、ほぼ毎月札幌通いです。 新ホテルは婚礼にも力を入れ、旧施...
田辺英蔵氏と旅館業について対談
86年「レジャー産業」6月号で「田辺英蔵の連載対談・これからのレジャー産業を考えるTALK&TALK」のゲストに呼ばれました。田辺英蔵さんといえば、後楽園スタジアムの副社長、その後に熱海後楽園ホテルの社長を務められた業界の大先輩です。 ...
「調理師の掌握」&「小旅館の企画商品」
前々回の主役・紀の国会館には見学研修客が絶えず、富士原支配人は地元新聞に「経営の神サン」と取り上げられ、86年、南紀大地にオープンした大規模年金保養基地「グリーンピア南紀」の常務理事総支配人に迎えられました。民間ホテル旅館を含めてもトップク...
虎ノ門パストラル
中学校卒業25周年にクラス会を催したことは書きましたが、都立芝商業高校卒業25周年(82年)にも久々のクラス会を開催し以後、永世幹事を続けています。21世紀入った後は、中学同様にコロナ前まで毎年開催です。 「月刊観光」83年8月号に「...
目標が規律を生む
私が公的宿泊施設を中心に行った数百件の経営診断で、財務内容をはじめ、褒め言葉だけの報告書を提出した唯一の案件が、85年に実施して支配人と職員の一体感を強く感じた公立学校共済組合の紀の国会館(和歌山市)です。 10年前に教員を退職後に就...