旅館とともに50年コラム
片道2時間通勤へ
72年、3歳下の次女誕生により約定どおりアパートを出ます。「家賃よりローンで戸建て住宅」のステップとして、千葉県住宅供給公社が5年間転売禁止の条件付きで開発した市原市内団地のテラスハウスを購入しました。 交通不便な立地なので総武線西千...
公的機関も顧客に
出版物やスライド教材「客室係の一日」の販売とTMC会員への勧誘を目的に、初めて国際ホテルレストランショー(当時の会場は晴海)に出展したのは1966年(昭和41年)でした。来訪した旅館経営者に財務データ記入表を手渡し入会申込書とともに記入、郵...
昭和50年代のレジャー産業
1960年代の半ばに、那須ビューホテルを中心に高級旅館が集まって、ロイヤルチェーンというボランタリーチェーンを作りました。TMCの池田誠治、エイエイピー・旅研の土屋金康さんが顧問で、事務局は当初TMCのデスクを貸し、事務員は女性一人でした。...
結婚、そして旅テル
入社2、3年後、27―28歳のころには一人で旅館を訪問して計数管理などのコンサルをするようになりました。数回お邪魔した旅館の東大卒の社長から「佐藤さんを支配人にほしい」と申し出があったけど断った、と先輩の話があり、他の旅館の女将から、うちの...
経営診断のプロへ歩む道
1966年、結婚式場を対象にセミナーをやろうという話が出てきて、池田さん(全員、さん付けで呼び合うルール)と私が担当することになりました。情報を集めているうちに、大久保の三福会館・年間1万組、明治記念館・5千組、東京厚生年金会館・4千組の結...
草創期の観光研究者と人脈
1960年代は、団体旅行全盛時代。「7畳半」の客室が流行していました。一般的な和室に布団を敷くのに、4人分なら8畳の客室なのですが、正方形である8畳に3人の布団を並べて、1人分はその頭の上に横向きに敷くという、収まりの悪さ。そこで6畳の横に...
出会いを重ねたTMC時代
旅館経営」誌に池田専務が発表した1961年(昭和36年)度吉田屋の計数資料は、「貸借対照表」「損益計算書」「経営分析表(多項目)」「客室、収容人員、収入金額からみた稼働率」「宿泊客分析(発地別、人員単位別)」「収支見込表」「損益分岐点算定表...
旅館コンサルへの道
18歳で運転免許を取った伊藤忠自動車を、引き止められて退職できたのが入社1年半後の9月末日でした。狙った外国語学科を持ち、入学金や学費が最も安い1校に絞り、その大学の入試日までわずか5カ月。 月1回、職安に通って失業保険金をもらいつつ...
執筆定年を覆す
私は1964年(昭和39年)、宿泊施設専門の経営コンサルタント会社「観光経営センター=後にティエムシー(略称TMC)と改称」に入社、90年(平成2年)、独立してリーコ設立、喜寿を迎えた2016年、TMC勤続期間を超えたところで会社を畳み、引...